父の死因
父はガンだった。
タバコが好きな人で、1日1箱はルーティーン。
それでも値上がりラッシュに負けて、なんとか10年ほど前にぱたりと断つことができた。
一年半前、胸の苦しさから救急車に運ばれて、そこでガンだと分かった。肺から心臓の血管を圧迫するところまで進んでいた。
「普通の人の数値が80ほどだとすると、お父さんの数値は2000なんだって」
電話で母が説明してくれたが、本当にその数であっていたのかはわからない。私はそれを聞いて、
スカウターが壊れる。
そんなイメージをもった。
ただ、薬がうまくきいて、肺と心臓はほぼ治ったのだけれど。
しばらく元気に過ごしていたら、また急に倒れた。私が初めて人間相手に心臓マッサージを行った相手が、父になってしまった。
必要だったのかは今でも分からない。泣きわめく母の声をバックに正常な呼吸をしているかどうかわかるのなら、私は立派な救急隊員になっているだろう。一度胸部を圧迫すると、父は意識を取り戻した。
本物の救急隊員が家の前で担架を用意しているころ、
「トイレ行ってくる」
と父は一人で立ち歩いていた。
病院に搬送されて検査をしてみると、ガンが脳と脊髄に転移していたことが分かった。
実はそれも、なんとか治療をしてまた家に帰って来たのだけれど。
脳への放射線治療は負担が大きかったようで、不眠から始まり、痴呆のような状態になった。それでも周りの人と関わることで少しずつ改善し、外出できるまでになった。
最終的に父の命を奪ったのは肝臓の機能低下だった。抗がん剤の作用で肝機能が低下することは分かっていた。
食べる量が極端に減って、血小板の減少から、血が止まらなくなった。白血球も少ないので、私達家族と会うときはマスクを着用。みるみる痩せた。
最後の最後まで、「痛い」とか「しんどい」と口にしなかった。心配をかけないようにというのもあるのだろうが、多分本当にあまり痛みを感じなかったのだと思う。鎮痛剤の類は一切使用しなかった。
生き絶える6時間前、他愛もない会話をした。
4時間前、集中治療室に運ばれた。呼吸器をつけられている父を見て、この姿の父を見続けることに、母は耐えられるのだろうかと思った。
10分前、病院から連絡があり、すぐに駆けつけた。
それでも間に合わなかった。
真夜中。